たかびっちの日記

思ったことをダラダラと。巳年っぽいブログでございます。

『個人の時代』の到来

先日はじめてブログを書いてみたところ、思っている事を正確に言語化するのは予想以上に難しいと知りました。

社会に出てから文章を書く/読むような仕事を一切してこなかったから当然と言えば当然ですが、もどかしい思いをしましたよ。

 

さて、今日は『個人の時代の到来』について感じていることを。

わりと共通の認識になってきている内容だとは思いますが、改めて纏めてみます。

 

 

僕はエリートじゃない。

小中学生当時の僕は、学年トップクラスの成績を誇っていたにも関わらず絵に描いたような非行に走り、見事中卒で肉体労働の世界に飛び込んだ。

これは僕に限ったことではなく多くの友達が同じような経歴を辿ったし、高校に進学した面々も大抵似たようなもので、数年遅れで面白みのない地元企業に就職、マイルドヤンキーへの道まっしぐらとなる。

親はもちろんの事、学校の先生からも『大学進学』などという言葉を聞いた事はなく、『高校受験はしておいた方がいい』『高卒の学歴があれば就職ができる』などと言われていた記憶しかない。

 

それに比べて典型的なエリートの人生を見てみよう。

世帯年収はゆうに数千万を超えるであろう、大手総合商社に勤める母と外資投資銀行のMDの父との間に生まれる。

家はアクセスの良い湾岸タワーマンション、猫はメインクーン

某私立幼稚園のお受験に合格し、そのまま大学までエスカレーター式に進学。卒業後は大手広告代理店に入社、その後社内制度を利用してハーバードビジネススクールMBAを取得、帰国後に外資投資銀行に転職し、20代にして億の金を動かし8桁の年棒を稼ぎだす。

 

まるで別の生き物のようだが、例え生まれた時点で同じ能力を保有していても、環境差がここまでの違いを生み出していくのだ。(少し極端ではあるが)

 

しかし実はこの格差、以前はこんなものではなかった。

 もとより狩猟で生命を維持していた人類は、農耕・牧畜の発明により、飛躍的な生存確率の向上を成し遂げる。

それから次第に身分制度が生まれ、封建社会が始まった。これが今から約数千年前である。

この社会システムでは王族・貴族・農民・奴隷など生まれた時点で決定的な格差があり、基本的にこれを覆す事はできなかった。

 

その封建社会も、今より400年程前から世界各地で起こる革命により徐々に崩れ去り、今も続く民主主義や資本主義中心の新たな社会システムへ移行していく。

その結果、識字を初めとして多くの人に教育が行き渡り、生まれながらの身分差に縛られることは少なくなった。

 

このように、個の力では埋めようのない環境格差が存在していた近代以前とは打って変わって、個の努力次第で差を埋める事ができるのが現代であり、インターネットとスマホの普及により情報格差さえ殆ど無くなってきている。

 

これは、従来のように情報の受発信をするにあたって、それらが集中する機関(国家・学校・企業など)に依存したり、物理的な距離などの制約を受けたりする必要がない事を意味している。

 

非エリート層は、この"情報"から比較的遠い場所に位置し、物理的な生活範囲やコミュニティも狭い範囲で収束する環境にあった人たちに多い。

そのため、時代の変化に対しても敏感とは言い難い。生まれた時から家の中で飼われた猫が外に出るのを怖がるように、急な変化を受け入れるのは中々難しいようだ。

ネット普及以前の世代の非エリート層は、この事実を認識することなく、地元でマイルドヤンキー化して暮らしていく事が最も幸福なのではないかと思う。

 

僕個人も環境差のくだりを理解するまでは、物理的なコミュニティに依存して生きていた。しかし、ふとしたキッカケで外に飛び出してしまった家猫のように、その圧倒的自由や希望を認識してしまったからには、例え雨風の中飢えても元の退屈な狭い家には戻れないのだ。

 

個人が必要な情報を自由に得られるなら、高校や大学での教育はいらない。

企業にとって学歴とは、最も効率の良いスクリーニング手段だったに過ぎない。当然本質と学歴は関係がないため、個人の様々な情報をネットで得る事ができるようになってきた現代において、学歴の重要性は薄れていくだろう。

自由に世界中へ発信できるなら実力で名を上げる事ができるし、youtuberのように、本当に好きな事だけを仕事にして生きていける。

コミュニティも、物理的な距離に縛られることはなく、ネット上で世界中を股にかけて形成する事ができる。

 

このように、環境差によるエリート層の優位性は、時代と共に徐々に少なくなってきている。

まさに『個人の時代』の到来である。

 

それに併せて、テクノロジーの進化によって単純労働の価値が失われていくため、「力の無い個人は淘汰される時代」でもある。ベーシックインカムがないと本当にキツイ時代。

機械が人間の知能を超える所謂シンギュラリティはもう少し先であろう(というかこの考え自体よく分からない)から、暫くは人間独自のクリエイティビティというか、複雑な感情の動きや細かな表現自体に大きな価値が置かれるだろう。つまりは"僕、わたしは一体何が好きで何がやりたいのか"が最も重要になってくる。

 

今は初期段階なので中々実感しづらいけど、後になって振り返ると今は農耕・牧畜の発明以来の大革命の最中にあるんじゃないかと思う。

新しいシステムは既に出来つつあるが、旧システムがそれに抗っているような。

あと数十年後には全く違った世界になってるはず。

 

 

 

新時代の到来を感じてやみくもに家猫をやめて飛び出し、晴れて野良猫となってから数年。

まだまだ野田たれ死ぬのは早いから、雨風に曝されながら今日も生き残るため好きな事だけしながら踏ん張りますよ。