たかびっちの日記

思ったことをダラダラと。巳年っぽいブログでございます。

挑戦と脳の報酬系について

朝方に久しぶりのブログです。

最近移動が多かったので、その時間を利用してタイトルの内容を調べつつ考えていたら、ぼんやり感じてることが言語化できてスッキリしたので書いてみます。‬

あんまり新しくもオチもないので興味ない人は読み飛ばしてください笑

 

‪少々雑だけど、人間は大きく2種類に分けることができると思う。リベラル/保守とか、アーリーアダプター/レイトマジョリティとか呼び方は色々あるけど、総じて 挑戦や変化を好む/好まない といった感じで理解していただければ。‬
‪マイルドヤンキーと意識高い系などもこれで分類できそう。‬

 

‪"挑戦や変化を好む"側は恐らく10%かそれ以外だと思う。‬
‪年齢や地域やコミュニティなど環境や情報格差に大きく左右されるのは当然あるが、同じ条件下の範囲でもまた9:1程度の割合で大別される。‬

 

‪まず、なぜ"挑戦や変化を好まない"側の人間がいつでも圧倒的に多数派なのか、について。‬

‪こちら側の人は世の中の新しい情報に飛びつく事や、新しい環境に敢えて身を置く事など、挑戦に対してメリットを感じていない。本当に好きな事だけを追求している人や、モヤモヤするのに行動できない人もいるだろう。‬
‪現状に大きな不満や不自由がある訳でもなく過ごしているため、わざわざリスクを負う必要がない。また、挑戦は失敗した時の恐怖を予感させるので、扁桃体が活発に働く。

<報酬は脳の側坐核(快感中枢)、恐怖は扁桃体(感情中枢)が司っているらしい。>

恐怖という感情は生存に不可欠なので、われわれ人類(哺乳類)は扁桃体のネットワークが活発なのだ。
‪つまり、挑戦をしない事は、未知=恐怖を避ける事でもあり、生存確率を高める事とイコールとなる。‬
‪これが圧倒的多数を占めている大きな理由だろう。‬


‪では、一方の"挑戦や探求を好む"人間は何故少数派にも関わらず常に存在するのか。

ほとんどは少しのキッカケではないだろうか。何かの拍子に報酬系が刺激され、その経験からの側坐核のネットワークが強く働き、10%側の人間となっていくのではないか。

"一見非合理的に見える行動も、やってみると思いもよらぬ快楽をもたらし、それが癖になる"

といった感じか。そして過去に類を見ないほど豊かな現代では、遺伝子の記憶とは裏腹に、挑戦によって生存を脅かされる程の危機は滅多にないので、より良い結果に繋がる事の方が多い。史上最も挑戦へのデメリットが少ない時代と言える。

 

‪そもそも脳は、予測誤差信号(既に知っている事柄と新たな事実の差)を縮小しようとするそうだ。だけど何故か、その差、つまり知らない事や予想外の事に対して快感を感じるように設計されている。


例えばサルに餌を与える前にベルを鳴らす実験を繰り返すと、ベルの音は食べ物という報酬を予測させるものと学習し、この特定の報酬刺激について、もっと多くの情報を求めるようになる。
例えば、ベルが鳴る前に起こることは何だろう?ベルを鳴らす前には装置のスイッチを入れるのか?など。

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これが探求行動。

そして報酬系は、報酬予測誤差信号の大きさにより刺激されると言われている。10%側の人の特徴である挑戦癖は、新しい経験により予測との誤差が最大化され、大きな快感を得る事ができる故だろう。そういった人の共通点である"飽きっぽさ"もこれで説明がつく。

 

まとめると、脳内で扁桃体のネットワークが強化されているか、側坐核のネットワークも強化されているかの違いが9:1の割合を生み出しているように思う。‬

 


サピエンス全史にあるように、現生人類(ホモ・サピエンス)は約6万年前に少数の集団(10%側)がアフリカを出てネアンデルタール人と交配しつつ全世界へ広がった事から今の歴史があります。
生物自体も自然も宇宙さえも、全ては諸行無常、変化しないものなんてない。常に新陳代謝を繰り返し、歴史を作っていっている。
僕自身もいつ何時も変化を恐れず、常に挑戦しながら生きていきたいと思います。

 

この記事の仮説が正しいとするならば、少しの

キッカケ=行動によって脳の報酬系のネットワーク構造を変え、挑戦へのハードルを下げる事ができます。

モヤモヤして過ごしている誰かのキッカケになればいいなー。