たかびっちの日記

思ったことをダラダラと。巳年っぽいブログでございます。

安保法案、みんな無理して考える必要あるの?

日々色々な事を考えるけど、頭の中で完結して忘れてしまうのは勿体無いということで、ブログで発信していくことにしました。

まだ誰も見ていないと思いますが、ぼちぼち書いていきますよ。

 

最近何かと話題の安保法案について。

初めに断っておきますが、この件について僕はあんまり興味がありません。

どちらかと問われれば賛成ですが、ここで改めて理由を述べるほど目新しい考えを持っている訳でもなく、見聞きした意見のうち賛成派と反対派それぞれ最もロジカルだと思われる意見に耳を傾けた結果、自分なりに判断しているまでです。

 

多くの人が関心を持つ話題は得てしてそうなのだろうけど、とにかくノイズが多い。

的外れな内容を声高に主張する人がどちらの側にも必ず出てくるから、『○○派はこんな事を言っている馬鹿ばかりだ!』という具合にあっという間に批判/罵倒の材料にされてしまう。

この構図がネットの様々な場所で起こっており、結果どちらつかずだった人は最初に目にした意見になんとなく偏っていく。

 

まあこのような図式は、まがいなりにもネットで情報を見聞きして判断する”若干意識高い系”の人に当て嵌まるのであって、おそらく半数くらいの人はテレビが情報源でしょう。マスコミが本来の役割を果たしてない…云々は今回は端折るとして、SEALDsの面々や山本太郎氏のご活躍?もあり、世論の多くは”反対派”で形成されているのではないでしょうか。

 

さて、ここらで僕が問いかけたいのは、今日のお題でもある『みんな無理して考える必要あるの?』ということ。

 

もちろん反対派の野党や一部の有識者も同じくですが、猛バッシングを受けている現与党の議員の方々や安倍総理は、きちんとしたプロセスで僕たち国民から選出された政治のプロであり、騒いでいる一般市民なんて足元にも及ばない程の深い知見や経験をお持ちの面々ですね。

今回の安保関連の動向が今後の日本の行く末を大きく左右する可能性があることは皆さんが認めるところだと思いますが、僕は『そんな超大事そうなこと、浅い知見でひっくり返しちゃっていいの?』と、思うわけです。

 

現代社会は”論理的であること”を前提に物事を判断します。だけどその”論理”がクセ者で、その人の持ちうる知見の範囲でしか構築することはできません。

これはつまり、仮にAさんが持っている知見の総量を10、Bさんは100だとすると、それぞれが一切の感情を排して完璧な論理を構築した場合でも、全く違う答えになる可能性がある事を意味しています。

ですが、このように知見の総量を数値化して測ることはできませんので、”現時点でどちらがより論理的であるか”ということが人によって違うという結果になるわけですね。まあこの先AI(人工知能)の研究が進めばその辺も変わってくるかも知れませんが。

 

SEALDsの面々や飲み屋でねーちゃん捕まえて安保について講釈垂れているおじさんが、安倍首相や反対派野党、一部の有識者たちに勝る知見を持ち合わせてるとは思えませんし、付け焼き刃の知識で語り、無関心層への布教活動に勤しんでいる現状はなんだかなーと思います。

ほとんどの人はマスコミの報道合戦に煽られて使命感を燃やし、全体の空気に流されて行動しているだけだからです。その集団の圧力が結果的に、危険な方向へむかった事例を日本は経験したはずですよね。

 

これ、もし報道が真逆だったら、SEALDsが賛成の主張だったら、それでもあなたは反対派でしたか?

 

ということで、実は元よりあんまり興味なかった人はそのままでいいんじゃないでしょうか。 安保なんて忘れてビール片手に連休を楽しみましょ。

 

本当に心からの愛国心で反対派に回ってる方々はデモなんかさっさと切り上げて、クラウドファンディングで弁護士費用でも集めて、国に裁判を起こすなり論理的な行動を起こしましょう。

 

まあ僕は自分の知見に自信はないので、ラグビー日本代表の歴史的勝利を祝いながら穏やかに事の顛末を見守る事にしますよ。