たかびっちの日記

思ったことをダラダラと。巳年っぽいブログでございます。

プライドは不要という話

こんばんは。

書きたいことは特にないけど、最近ブログを更新していないので無理矢理書いてみることにしました。
普段過ごしていて一番強く感じるこの問題について自分なりに書きながら整理してみます。


ここ数年で最も変わったなーと感じるのが、タイトルにもある「プライド」との向き合い方。
日本語での"プライド"とは一般的に「誇り」や「矜持」「自尊心」といった意味で使われていると思う。
以前はプライドを持つ事は重要で、それがある種の個性であり格好いい事のように感じていたが、大きな間違いだったなーと気づいた。
プライドが高くなればなるほど、"こうあるべき"というものが確立されていき、そぐわないものは排除しがちになってしまうのだ。

プライドが高くなるにつれ、失敗する事を恥ずかしく思い、新しい挑戦を避ける傾向にある。
典型的な負けず嫌いでもあり、これ自体は悪い事ではないが、間違いを認められないが故に無意識に「自分は間違っていない」という結論ありきの思考に陥り、後付けで理屈をこねて正当化をしてしまったりもする。
また、その内容に関わらず否定される事を不快に感じて受け入れられない。例え自分が間違っていたとしても。

これらは総じて強い思い込みにより考えが凝り固まっている状態であり、フラットな思考プロセスが存在しない為、新しい知見を吸収できない。
言い換えれば「自分の意見をしっかり持っている」となるが、これもまたそこに至るプロセスに問題がある。
本来は新たな知見を得て、より良い方に考え方を変えながら、自分の意見をアップデートしていくべき。だがプライドの高い人は、一度思い込むとその時点で決めつけてしまうため、柔軟性に欠ける上に進歩がない。

要するに、プライドが高い人は成長しないのだ。生物にとって代謝がない事は死を意味するため、いかにプライドが無駄なものかが分かる。

しかしプライドが全くない人の中にも「自分の意見をしっかり持っている人」は多く存在する。一見同じであり一括りにされがちだが、その実全然違う。
柔軟な頭で多くの経験を積み、その都度答えを出しながら成長している人は少なからず自分の意見に自信を持っている。失敗を重ねながらそれを受け入れ、常に自己検証をしてきた自負があるからだ。

クヨクヨして自分に自信のない人は、一歩を踏み出す事ができない=失敗を恐れている。つまり今の自分を守ろうとしている、実はプライドの高い人なのだ。
冗長になったがまとめると"プライドなんてクソの役にも立たない"って話。

プライドや自意識の克服はとても難しいが、常に自分と向き合って、不確実性が多く変化の速い時代に適応していくため努力し続けようと思う。

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