たかびっちの日記

思ったことをダラダラと。巳年っぽいブログでございます。

村社会化するネット時代と個性のお話

こんばんは。花粉症、辛いですね。これだけ多くの国民がマスクをしてくしゃみをし、計り知れない程の経済損失を与え続けてるにも関わらず日本政府は未だにどんどんスギを植えてます。いったい何を考えてるんでしょうか。

(って藤沢数希さんが言ってました)
 
 
さて、気になるGoogleのニュースについて。Google townを建設とのこと。
 
このニュースを受けて考えた事を今日は書こうと思います。
 
仮にGoogleTownなる街ができるとしたら、恐らく行政と協力し、何かしらの特区のような形で設定されるだろう。
自律走行の自動運転車やラストワンマイルを担うパーソナルモビリティ、その他たくさんの実験的取り組みが行われたり、もしかすると広大な土地を取得し、大規模な開発をして拠点を作り、数千人規模の従業員とその家族が住む私有地としてぶっ飛んだことをやるかもしれない。
 
まあこの辺は既に詳しい展望や考察がネット上にごろごろ出てるのでそちらに譲るとして、その最先端な取り組みの裏で住人や世帯間で起こり得そうな、一見何とも古めかしい現象がある。
 
"村社会化"である。
 
これは、移動手段が今ほど発達しておらず、物理的距離に生活範囲が縛られ、似たような生活、仕事をしていた昔の日本の村社会の構図を指す。
ちなみに現代の日本にも、この文化や風潮は残っており、この状態では村人同士の相互評価が全てであり、村八分にされると生きていけない。
個性や私は悪とされ、協調が善とされる傾向にあり、少しでも変な奴がいたらすぐに噂が広まって追い出されることになる。
 
前置きが長くなったけど、最先端の街であってもやっぱり起こるのかなぁなんて想像を巡らせているうちに気づいたことがあり、それこそが今日の本題である。
 
これからどんどんスマホの普及に伴う様々なサービスが増え続け、企業側には個人のデータや行動、購買履歴などが蓄積され、更にSNS等での発言、行動履歴、人脈の繋がりなどでも個人の情報がより可視化されていく。
そうなると、場所に縛られないままに”村社会化”に似た現象が起こるのではないかということだ。
 
昔の場合は、村八分にされても場所を移動すればリセットする事ができたが、ネット上の履歴は完全に消せないからそうもいかない。 
透明化された社会ではアカウントがない個人には信用がないため、周りの目を気にしながら当たり障りのない投稿をする。
犯罪者などは世界中どこに行こうがすぐに個人を特定され、過去が白日のもとに晒されるし、もちろん企業が支払い能力などの面で危ない奴を特定するのは既に簡単にできる。
 
なので、忘れられる権利というか、一度脱落した人のセーフティネット構築はより一層大きな課題になってくるだろう。
 
まあこれらの傾向は犯罪行為に限ったことではないので、”はみ出した”思想や行動全般の抑制につながり、結果個性のない個人の絶対数は増加していくと思う。
 
 
ただ、リアル村社会との大きな違いは、はみ出し者が仲間を見つけられるようになったところ。今まで誰にも理解されなかった特殊な者同士も容易に繋がれるようになった。(テロ行為を繰り返すISなんかも、それにより国籍を超えて誕生したんだと思うが。)
まあ良くも悪くも"個性を持った人"が更に目立つようになり、その価値はより一層高まっていく。
 
ネット=よくわからない・匿名性が高い
 
このようなイメージを未だに持っている人は少なくない。だけど実際は、個人が透明化していく中で、匿名での情報には価値が無くなってきている。
言うなれば今までは、スマホにより急に訪れた1億総ネット社会に個人が適応しきれていなかっただけ。データの蓄積も少なく不慣れで、情報の真偽の判断が難しかったのだ。
しかし全体的なネットリテラシーの向上によって適当な情報はすぐにバレるし、誰が言ってるか分からない情報なんて今に完全に相手にされなくなる。 
 
ネット=よく分からない、匿名
ではなく
ネット=より正確な情報、信用がおける
 
という認識に変わっていく。
 
以前は理解できなかった
「リアルとネットは融合していく」という表現が今ではしっくりくるようになった。
 
 
ネット上でありながら個人が透明化する時代では、村社会化現象により個性のない個人が増加するが、光る個性を発信できる人は今まで以上に目立つし活躍できる。
周りに理解者がいなくて村八分にされたとしても、画面の向こうには世界中に仲間がいる。孤独に耐えながら悔しい思いをすることもなくなる。
自由に好きなことをやっていれば、誰かが必ず見つけてくれるし、そこでは誰からも馬鹿にされることはない。
そんな村は自ら進んで飛び出して、村八分同士集って新しい世界を作ってしまえるのだ。
 
 
 
このエントリを書いていて、個性の価値を再確認することができました。
もし全体主義に嫌気がさしている人や、何か違和感を感じながらも抑えて生きている人がいたら、きっとあなたの個性が活かされない、許されない場所に生きてるのでは。
まずインターネットをもっと身近に捉える事が、今より自由に生きるヒントだと思います。
 
まあこういった話の説得力はどうしても結果に依存するので、好きなことで結果を出せるようにがんばらねば。
 
ちなみに、このTシャツで打ち合わせしてたらすごい顔をされたんで、個性的なのは中身だけで十分かもしれません、はい。。
 
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ではまた。